その数値は高いのか、低いのか

たいていの人はもう考えるのを止めてしまったのだろうけれど、いまでも、この数値は高いのか、低いのか、と考え込む。たとえば、3μSv/h という数字を見て、多くの人はどう判断するのだろうか。原発事故に関心をもたないで来た人には、判断のつかないただの数字だろう。高いと言われれば高いと思うし、健康に影響はないと言われればそうだろうと思う、そんな数字だろう。確かに、事故前よりは高い。ただ、この数値のところにしばらくいたからといって、健康に影響が出たりするような数値でもない。でも、ずっと暮らすとすると? そこで私は考え込む。累積被曝線量のこと、土壌濃度のこと、野菜や果樹のこと、山の作物のこと、子育てのこと。こまごました心配事とともに暮らすことは、どれくらい息が詰まるものなのか、そして、放射線量が低い地域と常に比較しながら/されながらの暮らしがどれだけ重くのしかかるかを知っているから、この数値を高いとも低いとも言えず、黙りこむ。

( 両側から怒声が飛んでくる。
 「あなたが低いと言わなきゃダメなんですよ」
 「あなたが高いと言わなきゃダメなんですよ」
 なぜそれを私が言わなくてはならないのか、
 それを私が決めることにどれほどの意味があるというのか、
 そのことによって誰かがすくわれるというのか。
 答えられるのなら、教えてほしい。)

たとえ戻ったとしても、この町はもう元の町ではない。それをわかった上で戻ったのだけれど、やっぱり心のどこかで(かすかに)期待していた町の姿とあまりに違いすぎて、心がついていけない。それで、メンタルが落ちている人も多いらしいよ。(無理もない。)かつての記憶、損なわれる前の町の記憶がないのなら、新開拓地とでも思えるのかもしれないけれど、戻りたい人が戻りたいのはかつての町なんだもの。戻ってすぐの頃はみんなテンション高いからいいんだけど、だんだん落ち着いて現実が見えてくるとね…。新しく来た人はいいかもしれないけどね。前の町の記憶がなければ、そういうもんだと思えるだろうし。

こんな会話をもう誰かに伝えようとも思わなくなった。きっと言ったところで、どうにもならない。ちょっとだけため息をついて、また黙り込む。