土とともに暮らすこと

飯舘村長泥地区の除染残土を使った農地造成事業にかんして、野菜の栽培実証実験が行われたということが報じられて、局地的な騒ぎになっている。経緯を追っていない方のために簡単に解説をしておく。

飯舘村の南側にある長泥地区は、飯舘村内で唯一避難指示が解除されず、帰還困難区域として残されたままになっている地区だ。帰還困難区域は、他の自治体でも、大熊町双葉町富岡町浪江町葛尾村に残されており、これらの自治体のなかでは、帰還困難区域の一部を「特定復興拠点」に指定し、その場所で除染と同時に再開発が行われている。

だが、長泥地区は、村内でも外れに位置する山村であることからか、「特定復興拠点」を通常の形で地区内に設置することができなかったようだ。その代わりに、飯舘村の他の地域の除染残土を受け入れると同時に、その除染残土を置いた周辺を造成してミニ復興拠点とするというのが経緯である。一方、長泥地区のこの話が進んだのと相前後して、他の自治体では山村部でも特定復興拠点として小規模に再開発を行う事業が認められているわけだから、長泥だけなぜこういう流れになったのかは、よくわからない。

長泥地区の除染残土を用いた農地造成事業は、当初は、除染残土を運び込んで造成した上に、50cmの非汚染土で覆土し、食用に供しない花卉類を栽培するという計画であった。だが、私の記憶が確かであれば、当初から地元の人からは、せっかく農地を作っても食べられるものを作れないのであれば意味がない、と言った要望が報道等を通じても伝えられていたように思う。

そして、今回、覆土をしない除染残土の上に直接、食用の野菜を育てる実証栽培が行われているという報道があった。土壌のセシウム濃度は測定されているであろうし、この実証実験によってただちに商用作物の生産流通につながるものではないとのことだが、周知されていた事柄でなかったことから、一部の反対派のなかで局地的に反対の意見が噴出することになった。

この事業そのものには、大元の除染残土を長泥地区に運び込み造成するというところから複雑に感じるところがあるので、わかりやすく賛成とも反対とも言い切れないのだが、今回の実証実験に関する反対派の言動に、かつての都路の避難指示解除の頃を思いだして、思うところがあったので以下に書いておく。

都路地区は、2014年4月に最初に避難指示が解除された地区となる。そのことについては、以下の記事のなかでも触れてある。

「結果オーライ」への道筋を探る - 安東量子|論座 - 朝日新聞社の言論サイト  東京電力福島第一原子力発電所内に大量に保管され続けている「水」の処理についての議論は大詰めを迎えている。この原稿が発表さ webronza.asahi.com

これを書くときに、最後に報道への注文のところで、書こうか書くまいか迷って、結局文字数の都合もあって書かなかったことがひとつある。都路の避難指示解除が決まってからの報道姿勢についてだ。

本文にも書いたが、避難指示解除が決まるまでは、解除の最初のケースだったせいで、報道の注目度は非常に高かった。連日大きく報じられたし、そこでは、「避難指示解除に反対する住民」と「避難指示解除を強行しようとする政府」という対立構図を描きたがる報道も多かった。確かに、避難指示解除に反対する住民がいたことも事実だが、最終的に、地元合意を得て避難指示は解除された。

それは、おそらく少なからぬ報道関係者、とりわけ対立構造を期待していた左派メディアにとっては、拍子抜けする結果であったののではないだろうか。というのは、都路の避難指示解除後、避難指示の解除にまつわる問題を指摘する報道が激減したように感じていたからだ。都路後の避難指示解除は2015年9月の楢葉町になるが、報道において強い反対の論調はあまりなく、ほぼ無風状態であったと記憶している。

なぜこのように記憶しているかというと、私は、避難指示解除なされた後が本番だと思っていたからだ。一定の線量水準以下であれば、避難指示は解除した方がいいと思う一方、行政的な対応には課題が非常に多かった。避難指示と賠償を紐付けた制度的な問題もそうであるし、休耕農地の管理や増えた獣害への対応、若年世代が減ったことによって急速に進んだ高齢化、そして介護問題、また、山林等における長期的な放射線管理の問題などなど、課題は山積していた。こうしたことは、避難指示が解除になってはじめて前面に出てくることであるから、当然、避難指示解除に注目されたのと同じ程度には、解除後に報道からも指摘されるのだろう、と思っていた。

だが、そうした課題の指摘は、都路解除後にはあまりなされなかった。もちろん、まったくなかったわけではなく、地元紙を中心として散発的には指摘されたが、避難指示解除への注目度と比べると、驚くほど少なかった。これらが指摘されはじめるのは、楢葉町の解除が終わり、2017年3月の一斉解除への道筋が出来てからのことであるように感じている。

この都路以降の報道の変化ぶりに、私は非常に戸惑った。なぜ報道は、課題がこんなに残っているにもかかわらず、こうも急激に関心を失ったのか。これは、私の憶測であるが、特に左派系報道においては、都路の地元が避難指示解除に合意したことに対して不満だったのではないだろうか。住民対国の構図に持ち込んで、国の非道さを追求する政治キャンペーンを行いたかったのに、地元はそれに乗ってこなかった。そのことに対して失望し、関心そのものを失ってしまったのではないだろうか。当時、私は、一部左派は成田闘争における「三里塚」を再現したかったのに、それに乗ってこなかった地元に対して、見下し、憤りさえ抱いているののではないかと感じていた。

長泥の件で、このことを思いだしたのは、同様に左派系の一部の人たちが、この実証事業に同意している地元の意向をなかば敵視し、見下す主張を行っていると感じているからだ。いわく、「同意している地元の人間はごく少数で、大多数は反対なのだから、無視していい」、「こんなところで作った野菜をたべたい人がいるわけがない」、「風評を産んで、他の産地の迷惑になるだけだ」。これらの左派系の人たちは、自主避難者の権利を強く主張している人が多いと認識しているが、これらの主張は、自主避難者に向けられたのとほぼまったく同じ主張であることを理解しているのだろうか。私には、自分の党派性と同じ意見であれば、「地元の意見」として尊重し、自分の党派性と異なれば、無視し敵視するという、典型的な党派的態度であるようにしか思えない。

私自身は、一貫して福島県内からの自主避難者の支援は一定程度行われるべきだと思っているし、そう言ってきた。(個人的な意見としては、除染対象区域と指定された区域からの避難は行政区分としての合理性を有するし、また除染が終わるまで、ないしは仮置き場がなくなるまでの期間の避難は支援されてよかったと思っている。) そして、長泥の実証事業に全面的に賛成というわけではない。(だが、かといって反対を広言するほどでもない。私は所詮、利害も葛藤も負うことのできない「外野」である。) その上で、上記のSNSで見かけた反対派の意見は、人道的、倫理的に承服しかねる論理だと思っている。

最後に、除染土での野菜の栽培の実証実験のニュースを聞いたときの私の抱いた印象は、私にとっては納得できる要望であった。

著書の『海を撃つ』のなかでも紹介したエピソードだ。自分の畑で栽培した野菜を食べて、ホールボディカウンターで内部被曝を測定し、「検出されず」の結果を得た女性の話だ。そのまま引用する。

その結果を見て、彼女は笑顔で私に言った。これでこの土地が安心だと確認できた。自分の暮らす土地で育て、収穫して、食べたキュウリが大丈夫だということは、この土地が大丈夫だということ。これで私はここで生きていける。その自信を持てた。
                   (「末続、測ること、暮らすこと」)
暮らしの中に入りこんだ放射性物質を測定するということは、そのまま暮らしを測定し、評価することにつながる。暮らしに入りこんだ放射性物質の測定結果は、そこにある暮らしと切り離して、数字のみを取り出すことはできないのだ。彼女にとっては、ホールボディカウンターの測定結果は、自分の育てる野菜、その野菜を育てた彼女の土地、延いては暮らしを支える土地そのものへの信頼へとまっすぐつながっていた。
                   (「末続、測ること、暮らすこと」)

土地とそこに暮らす人間とのつながりは、土を耕して生きる人間と、そうでない人間とでは大きく感覚が異なっていることを、私はこの時の経験で実感した。私自身は、耕さない側の人間であるから、彼女がこうして言語化してくれなければ、理解することはなかったかもしれない。その後、注意して地元の人たちの話を聞くようになったが、土を耕す人たちからは、彼女と同じような感覚を持っているのであろうという印象を受ける言葉を幾度となく聞くことがあった。

そこで暮らす可能性がある以上、その土で食べられる野菜を栽培し、安全性を確認し、自分の口に入れたい、というのは、土とともに生きる人びとにとっては、ごく自然な欲求であり、また、ごく自然であるがゆえに、切実な欲求でもある。むしろ、暮らすことを許可しながらも、育て、食べることを禁じる方が不自然である。出荷するかしないかは、行政的な判断の問題となってくるであろうが、自分が栽培した野菜を他の人からは拒否されることの痛みも、土とともに生きる人びとでなければわからない強いものがあることも実感として知っている。

日本の政治行政の常道である「なし崩し」がいいとはまったく思わない。だが、党派性によって論理を都合良く使い分け、また、地元の人の尊厳を深く傷つける言動に対しても同様にまったく承服しがたい。反対派の方たちは、原発に対して反対の論調が圧倒的となった事故後の福島で、なぜこれまで自分たちの言動が広く受け入れられなかったのか、いま一度、顧みていただきたいと切に願う。