7回目

 すっかりイベント化した7回目の3月11日は、普段と変わらぬ日常を過ごしていた。
 いや、実際は、去年も、その前の年も、14時46分のサイレンを黙って聞きつつ、同じように過ごしていたのだが。
 ここ1年ほどの間は、震災の言説化が進むのを眺めていた。大抵の人々にとって、被災地の現実は興味の視野からは消え、言説化された震災だけが残された。そこでは、論者の好みによって言論化された震災だけが、あたかも現実であるかのように語られ、現実は、言説のフィルターを通してしか顧みられることはなくなる。
 風化とは、歴史化される過程であり、必然である。
 言説化されないものは、取り残され、多くは、歴史の底に沈む。それをすくいとれるのは、連綿と続く生活だけである。こうしてみると、言説と生活は、本来的に相入れぬものなのであろう。
 
 この震災の不幸は、あまりに大規模であったため、言説化のスピードと現実の回復が見合わないことにある。
 こと、原発事故においては、いまだ帰趨さえ決まっていない生活があるのに、それらの生活をさえ、言説が覆い尽くそうとしている。言説は、これらの生活を救うことは、この先も決してないだろう。
 人々は、この先も、震災について語る。けれど、それは言説化された震災であり、現実の生活ではない。

 置き去りにされる生活に幸いあれ。
 私の思いは、いつもあなた方と共にある。