Time’s up

2017年はずっと、Time's up、時間切れ、ということを考えていた。
葛藤していたと言ってもいいと思う。

震災が起き、その後、「復興」がはじまった。そこで、多くの人が目指したのは、暮らしを取り戻すことであった。その場合の「暮らし」は、多くの人にとっては、かつてあった暮らしであり、若干変化はしても、なるべく震災前に近いものを求めていたと思う。
その時期は過ぎてしまった。
もう、この先は、かつてあった暮らしを取り戻すことはできない。
ここから先は、「取り戻す」のではなく、新しい暮らしを「作り出す」「生み出す」局面になっていく。そこでの暮らしは、かつてあった暮らしとは、また別のなにものかになるだろう。
これは、夢のある話なのかもしれない。旧来の弊習にとらわれず、やる気と才覚さえあれば己の思うままにやりたいことをすることができる。現に、そうした動きをしている若い世代もいる。
けれど、時流に乗れる人は、そう多くもないだろう。どれだけ底上げしようとも、何かを生み出す才覚とエネルギーと情熱を持った人間は、そんなに多くはない。つまり、才覚を持って新たに切り開くエネルギッシュな少数の人と、方向性を見出せず行き場を見失った多くの人たちという二つの極にはっきりとわかれてくるのだろう。
わたしは、乗り遅れる側の人間であるので、いたましさを抱えたまま、2017年を過ごした。いまも、そのいたましさは消えないが、わたしは、時流の最後尾にいて、行き場を見失う人がなるべく少なくなるように、わずかながらの助けとなるようにしていくしかないのだろう、と、いまは考えている。

そして、いつものことだが、世の大勢が時間切れに気づくのは、もう少し、先のことになる。