そのうみ、凪いで、あお

 唐突に、海が見たくなり、お気に入りのケーキ屋さんで買ったケーキを車に乗せて、見晴らしのよいポイントまで出かける、なんてことを震災前にはしていた。
 海は、穏やかな時もあり、少しばかり荒れている時もあった。大抵、どんな日も海辺にはサーファーがいて、波間に漂っていた。波待ちの海面に浮かぶサーファーは、海鳥のようにも見え、漂着物のようにも見え、わたしは、ゆらゆらとボードとともに揺れる自分を想像してみたりしながら、海を眺めていた。
 防波堤の脇の狭い道路に、サーファーの車が数台駐めてあり、その向かいには、せめぎ合うように住宅が建ち並んでいた。帰宅の時間になると、子供が跳ねて歩き、迎えの祖父母と思しき年配の男女が、ときおり、諫めるように声をかける。子供はお構いなしに、喚声を上げ、突然走り出し、また止まり、そして、跳ねる。
 住宅の前のプランターには、花が植えられている。庭の木々は、海風に煽られ、いくぶん調子が悪いか、多くは、陸側に向かって樹形を傾けていた。潮風が直接あたる場所の生育に適した樹木は、そう多くはない。成木を持ってきて植えても、調子が悪くなることも多い。大抵の場合、生育もよくない。それでも、ほとんどすべての家に、木は植えられる。まったく、なんでもかんでも潮にやられて、いやになっちまう、とぼやきながらも、プランターでは、子供のようなペチュニアが花をつける。

 その町は、津波に呑まれた。

 震災から一ヶ月ほど経った後、自衛隊がようやくかき分けたばかりの路地を入った。二階まで波が来たのだという。建物の形が残っていたものもあったが、あとは見る影もなかった。2階建てであったはずの建物の2階部分だけが、そのままの形で別の場所に流れて移動していた。庭は跡形もなく、多くの漂着物で埋め尽くされ、境界もわからなかった。津波の襲来の境界線の向こう側、辛うじて難を逃れた住宅では、割れた窓にガムテープが貼られ、主と思われる老人がどこか呆然としたような表情のまま、庭の片付けをしていた。
 海はすばらしく穏やかだった。遠く群青色の水平線まで曇りなく見晴らせ、海面は光を受け、小波が無数に輝いていた。
 わたしは、あの時に見かけた子供たちは、年寄りたちは、無事に逃げただろうか、と考えながら、途方に暮れていた。
 それからは、もう、見に行っていない。

 あの日が近づくと、あの時の光景を思い出す。
 陸上の無残な光景と対照的に穏やかな海のことを。
 海は、忘れてしまったのだ、荒れ狂ったじぶんの姿を。すさまじい破壊のことも、人々の悲しみも苦しみも。
 そのことが、どうしようもなく、悲しかった。

 その海は、凪いで、あお。
 ひかり、跳ねる。