久しぶりに訪れた富岡駅は、駅舎の跡形もなく、無骨な鉄パイプのバリケードが、かつてあった場所を示していた。
 なんという無粋さ、おおよそ配慮や敬意といった人が持つべき感情のかけらも感じられないこのバリケードを見ても、もはや渇いた悲しみしか湧いてこない。
 向かいの建物群は、4年半の歳月を経て、さらに損壊が進み、いたましさを増していた。
 フランス人が、terrible、と呟き、同情の眼差しを向けるものだから、ここは私の町ではないけれど、とも言わず、震災後初めてここを訪れた時のことを思い起こしていた。
 あの時は、人影もほとんどなかった。
 不穏な空気が静けさを満たし、私は、息を潜めながら、置きっ放しにされた自転車と、慌てて定めたに違いない空間線量測定用のポイント指示の赤いビニールテープを眺めていた。
 あの頃、この街は、既に痛めつけられていた。
 しかし、朽ちてはいなかった。
 倒壊したのは、地震津波によってであって、腐食によってではなかった。
 いま、ここは、音を立てて進む腐食に身をまかせている。
 4年半を経て、さらに、このような姿を見ようとは。
 なんてことだ、と、軽く天を仰げば、プレスと思しき腕章をつけたカメラマンがシャッターを切っている音が聞こえる。
 そうだろう、私は、きっとこの場所で撮るに相応しい表情をしていたに違いない。
 向かいの減容化関連施設からはひっきりなしの機械の稼働音、何分かおきに屋外スピーカーから流れる広報富岡の防犯情報、潮騒は聞こえない、少し前に、とっくの昔に、違う、昔から、聞こえない、ここからは、聞こえなかったはず、だ。

 腐食する、街、もう、形状を、なぜ、時間、われわれの、
 時間、
 時間、
 時間、
 
 It's too long.