海の見える住宅は、わずかに傾き、床にビー玉を置けば、どこまでも転がってゆくのだと言う。
 風もなくおだやかな日は、波濤も聞こえず、目を上げれば、深く湛えられた青と水平線。
 空と海のまじるところ。

 少女のさざめきのような会話に加わりながら、同窓会が、年金が、娘が、息子が、という言葉に、この人たちは母と同じ世代と気づいた。
 失ったもの、失った人たちのことを間に挟みながら、何気なく会話は続けられる。
 (失われたそれらが、みずからの半身であるかのように。)

 震災があって、わるいことばかりじゃなかったわよね、と、やや唐突に、彼女が言った。
 私は、先ほども、まったく同じ言葉を聞いたばかりだと思った。
 農家屋の上がり框に腰掛けながら、フィリピンの台風被害に触れ、どうにか助けられないのか、と語った後、彼女は「震災があって、わるいことばかりじゃなかった」と言ったのだった。

 その言葉に至るまでの、彼女らの経験を、私はおぼろげに伝え聞くばかりだ。
 お世話になった人に、どうやってお返しをすればいいのだろう、と問う彼女に、私は、通り一遍の言葉しか返せなかったろう。
  
 それがどのような形であれ、人の暮らしは続けられるべきだ、続けられなくてはならない。
 私にとって、これが、ひとつの信仰告白であり、祈祷文であるとするならば、祈りにささやかな形を与えてくれた事象を、奇蹟とよんでもゆるされないだろうか。
 それが、少しばかり大仰であったとしても、ただひとつの祈りによって、日々を堪える、そのような時間を過ごした者が、仮にあったとして。