あなたが突然いなくなってしまったと言うから、私は、出し忘れた恋文を片手に持ったまま立ち尽くしている。
 本当を言うと、恋文は、まだ書いてさえいなくて、いつの日かとびきりのを書いてやろうと、そんなことを思っては密やかな楽しみにしていたというのに。
 書いたところで、あなたは読みもしないし、関心を抱くこともなかっただろうけれど。

 私たちが訪れると、最初に出る言葉は、こんにちは、でも、久しぶり、でも、元気だった?、でもなく、次はいつ来るん?
 私が物心ついたときから、ずっと同じ、繰り返されてきたやりとり。
 その質問に、うっかり適当な時期を答えてはいけない。
 あなたは、決して忘れないで、その日を待っているから。
 子供の頃は、次は冬休みね、次は夏休みね。
 そう答えた。
 大人になってからは、時期は言わない。
 こう答える。
 また来るね。またきっと来るね。また来るからね。
 あなたは、頷く。
 釈然としないのか、あるいはお構いなしなのか、表情からは窺えない。
 
 会ったところで、あなたはこちらに関心を払うそぶりもない。
 お土産に持ってきたかわいい女の子の写った写真集を広げ、いつものサッカーボールの形をしたお饅頭を頬張る。
 時折、ふっとなんの気まぐれか、壁に貼られた写真を指さすこともある。
 この間、ここに連れて行ってもらったのね。
 お誕生日だったの?
 こちらの問いかけに、答えるだけの会話。

 
 あなたにとって、私は何者だったのだろう。
 いや、たぶん、何者であっても構わなかったのだろう。
 必然か偶然か、与えられた関係性の中で、私たちは互いを認識し、それとして振る舞った。
 私が誰であったとしても、何者であったとしても、あなたにとっては、与えられた関係性を構築する存在のひとりである、ただそれだけに過ぎなかったろう。
 そして、そのことにより、私の存在を肯定し、あなたの歴史の中に組み込んだ。
 それが、私にとって、どれほどの救いであったか、あなたは知る由もない。

 あなたがいなくなって、私は、少しばかり途方に暮れている。
 それでも、生活はなにも変わりはしない。
 日々の細々に追われ、私は恙なく平穏無事に暮らしていくだろう。
 その居心地の悪さを今はまだ実感できないでいる。