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アナスタシアは、あの時、こう言った。
あなた方の故郷を愛し、故郷に戻りなさい。
除染をして、戻り、そこに住み続けなさい。
その言葉は、会場の日本人、おもに被災地に住む人びとには、おそらく少しばかりの共感と、多くの違和感をもって受け止められたろう。
そのようにすることが可能であるならば、どれほど、話は簡単であるか、と。
アナスタシアの言葉を聞きながら、私は、昨秋訪れたベラルーシのセレツ村の文化会館で聞いた話を思い出していた。
買い物袋を抱えて集ってくれた、かますびしいほど元気な女性たちは、避難した人びとについて口を揃えて言った。
避難先で健康を害して亡くなった人が、多い。
特に、壮年、働き盛りの男性は、みな死んでしまった。
いかほどの人数なのかは尋ねなかった。
私たちにとっては、姿も形も浮かばぬ、彼ら死者たちは、彼女たちにとっては、同じ経験を共有し、生活を接し、同じ街で日々を共にしてきた人びとである。
死因は、心臓病などが多い、と聞いたが、それ以上は、尋ねる気になれなかった。
みな死んだ、と彼女たちは、繰り返した。
ソ連邦崩壊の経済的大混乱も、影響を与えているであろうから、すべてを避難の影響であると結論づけるのは、あまりに早計だ。
しかし、地から離れた人間は、弱い。
大抵の人びとは、失った以上のものを得ることはできない、そして、できなかった。
アナスタシアの言葉は、そうした残酷な現実をふまえた上である、ということを、会場のどれだけの人びとが理解しただろうか。
故郷に残った、戻った人びとは、失った以上のものを、おそらく一部においては勝ち得、さらに得るための努力を、いまなお続けている。
失ったものは、失われたままに。
戻るも戻らぬも、個人の選択、と言いながら、私のうちには、アナスタシアの言葉が、響き続けている。
あるいは、もはや手遅れである、との思いとともに。
故郷に戻りなさい。
故郷を愛し、住み続けなさい。