みっつめの夏
喧騒のうちに、ひとつめの夏が過ぎ、ふたつめの夏が去り、みっつめの夏を迎える。
いまいちど、この一文を思い起こそう。
「戦争の最初の犠牲者は真実だ」って? そうではない、言葉なのだ。
(ペーター・ハントケ『空爆下のユーゴスラビアで』)
あるいは、プラトーノフ『土台穴』に描かれた、空虚な言葉の世界を。
言葉の価値を徹底的に毀損することによって、言葉とともにある人間の内面世界をも虚ろとすることがまかり通る先にあるのは、おぞましい世界でしかない。
それゆえに、言葉は美しくあるべく、思慮深くあるべく、また、誠実であるべく、努めなくてはならない。
それさえも叶わぬのであれば、ただ口を閉ざし、喧騒が過ぎ去るのを待とう。
喧騒をくぐり抜け、それでも残る言葉が、ふたたび豊かにされることを祈って。
(そう、ツェラン。けれど、あなたはセーヌに身を投じた。)