予期する未来を描けば、呪詛になりそうで、言語化することを躊躇いつつ、つとめて、かすかにみえる希望のことばかり書いてきたが、それも、まちがいであったろうか。
 当初から、私には、大枠においては、悲観的な未来しか見えていない。
 もし、希望があるならば、個々の、ひとりひとりの人間が持つ意志、そこにしかないだろう、と。
 幸い、ほんとうに心から幸いなことに、私は、意志を持つ人たちに出会うことができた。
 しかし、大枠は変わらない。

 残酷な夏がくる。
 帰らない、のではない。
 帰れなくなるのだ。
 その後に起きる精神的荒廃が、どのようなものになるのか。
 政治による調整が機能していない現在、完全に、個々のおかれた状況、既存の共助システム、自助努力に依存する。
 もはや、時間は待ってくれない。
 自力再建もできず、拠り所を失った人々は、失意の底に沈むか、法廷闘争に身を投じるか、ただ呪詛の人生を送るか。
 (それでも、多くは、苦難の末に自力再建の道を選ぶ。)

 誰も、みずからを助けたいと思う人しか、助けることはできない。