■いささか、
萌黄、とはよくいったもの。
ひかりたゆたう季を前に、先陣を切って花ひらくのは、きいろの、フクジュソウの、サンシュユの、ミツマタの、ついで、白色の花々がひらくと、もう、確かに、季節は移ったのだと、なにもかもがまばゆいあの時季がおとずれるのだ、と。
気がつけば、同じ曲ばかりを聞いている。
アナログレコードの時代であれば、間違いなく、その曲の部分だけすり減り、はや、いびつな音しか流れないであろう。
ボーカルの入った曲ばかりを、数百回、あるいは、それ以上かもしれない、繰り返し繰り返し、身体に擦り込むように聞いている。
いささか、常軌を逸している。
そう遠くもない記憶を辿って、震災前には、ボーカルの入った曲を聴くことは、ほとんどなかった事に思い当たる。
欠落したものを埋め合わせるように、音楽を注ぎ込んでいる。
もし、この、馬鹿げた騒動に実体があるのであれば、憎むに足る。
もし、それらに実体があるならば、それが可能であるならば、躊躇いなく、私は、それらを破壊するであろう。
しかし、現実は、互いに互いの正体を知らぬ者どうしが、憤り、怯え、罵っているに過ぎない。
憎しみをぶつけるにせよ、怒りの衝動に駆られて掴みかかるにせよ、なにもかも、あらゆるものが、あまりに、小さく、弱すぎる。
いささか、常軌を逸した衝動を、ときおり、扱いかねる。
もうすぐ、枝先がやわらかくゆるみはじめた木々が、紫色から、それぞれのあえかな色を映し出す。
ヤマザクラの、白や、仄かに染まった淡紅色さえ、色彩のひとつに過ぎない。
春先の多雨と好天は、いろをやさしく育むだろう。
緑色一色に染まりきる前の、ひとときの、色の乱舞。
いささか、常軌を逸した、例年通りのうつくしい春を、ことしも待ち望む。