■波風
なるべく穏やかに、何事もなかったかのように、できるだけ静かに、その日を迎えようと、呼吸をととのえているにもかかわらず、ときおり、心は波立つ。
夕食時、家人が病院の待合室で見たテレビ番組のことを話すものだから、ざわざわとうごくきもちをとめられない。
大熊から会津へ避難している中学生のところへレポーターが行き、インタビューのいちばん最後に原発に賛成か反対か聞いたら、半分は賛成だった。
集まった半分は、親が原発へ勤めていて、親は金曜日に会津の家族の元へ戻ってきて、月曜日にまた大熊へ出かけていくという生活をしている、と。
戻る、と、出かける、という言葉が、残酷なほどに反転した生活を送る人々に対して、
その子どもたちに、こんな踏み絵を踏ませることによって、何をしようとしているのだろうか。
その子たちの親は、変容した故郷の、あの、壊れた原発へ、今もなお、通い続けているというのに。
いったい、いったい、その問いは、いったい、誰のために、なんのために。
ざわざわ、ざわざわ、と、うごめく気持ちを止められないので、まったく、いやになる。
せめて、この雨をとめてくれないか。