8月16日 南相馬・鹿島・松林

同8月16日。


筆で一本、線を横に引いた海岸線。
海と陸を隔てて、黒松が境界を埋めていた、
それは、とおい昔の話ではない。



目を閉じれば、鮮明に見えるものが、
あまりに、遠い。


海岸線から離れた内陸にまで、
黒松は根ごと、運ばれていた。
いったい、この海岸沿いの集落のどこに
こんなにたくさんの大木が植わっていただろうか、
不思議に思いながら、
戦場のような風景を巡った、
瓦礫が散乱する4月。



津波は、松の頭を越えてやってきた。
あの時には、まだ葉を青くしていた生き残りの黒松も
もう、枯れ始めた。


倒れた松は、玉切りにされ、
山と積まれる。


松ならここにもあるぞ、と夫が独りごちるように言う。
だみだした、岩手の松であの騒ぎでは、福島の松なんかどうにもならね
と横で義父が答える。



夕刻、
昔話のはずみに、義父がアルバムを持ってきた。
一枚、親戚が松林の下で、
バーベキューに興じる白黒写真。
一緒に映るのは、トヨタの初代大衆車「パプリカ」。
水着姿のまだ若い義父と義母と、夫の従兄弟と、
数十年前の写真のこの場所で、笑っている。


幾百年の歳月をかけて育まれた
松林は、
流され、
倒れ、
切られ、
積まれ、
汚染物と呼ばれ、
その扱いにさえ苦慮される。
そんな影は、写真の中には微塵もない。


なにもかにも似つかわしくない。


写真を見る口の端が歪むのは、
笑いたいからなのか、
泣きたいからなのか、
わからない。
悲劇と喜劇は紙一重、と言うならば
笑った方がよい。
きっと、笑ったほうがよいのだろう。



一枝一葉に至るまで、
この土地で育まれたこの松は、
ここで葬ってやればいい。


どこも汚染されてなどいないのだから。
ほんの少しばかり、
普通にはない放射性物質が付着しているだけだ。
ただそれだけのことだ。


最後まで、ここで送ってやればいい。


潮騒の向こうに、
風が松林を抜ける音が聞こえる。
それは、そんなとおい昔の事ではないのだけれど。