8月16日 南相馬・鹿島・右田


 同8月16日、海近く。






 そこに何があったのか、
 そこで何が起きたのか、
 今さら、言うのも問うのも愚かしいことだけれど、
 来るたび、問わずにはいられない。
 けれど、その問いを発する一瞬前に、答えは有無を言わさず、覆い被さってくる。
 結局、何の言葉も思考もないままに、沈黙だけが、がらんどうの空間に浮かんでいる。
 かたちにならない問いと答えだけが、寄せては返し、寄せては返し。







 言葉もないまま、カメラを構え、シャッターを切る。
 なぜ、私はここで、シャッターを切るのだろう。
 なんの権利があって、そうすることができるのだろう。
 では、手を合わせれば?
 それも違う。
 手を合わせることも、きっと、ただしい事ではない。
 けれど、
 耐えられなかったのだ。
 なにもせずに、
 この風景をただ眺めていることに。
 見当を失った人のように、
 歩き回る平底のサンダルに、砂が入る。
  


 ここには、墓地があったんだったな
 そう、ここは墓地だったんだ
 と、義父が思い出したように何度か繰り返した。
 真新しい卒塔婆の向こうに水平線。
 海と陸を遮る防波堤が、
 彼岸と此岸の境界であるなんて、
 考えた事もなかった。
 いま、大破した防波堤の切れ間から、
 朝日が昇る。






 四角いコンクリ枠の基礎だけが残された場所で、
 女性がひとり、花を飾り、石を積んで、祭壇をしつらえ、
 整えられた祭壇の前に 座っては立ち、立っては座り、
 あたりを歩いては、また祭壇の前に腰を落とす。
 傍らに数個、同じようにしつらえられた祭壇があり、
 人が不在の祭壇にカメラを向けた。


 

 あの日、それは、水平線の向こうからやってきた。
 黒い固まりだった、と見た人は言う。
 少し内陸の人は、最初に来たのは水ではなく、ゴミだったと言う。
 地上では、消防団の人が「黄色い声して」逃げろ、逃げろ、と
 触れ回っていた、と土地の人は言う。
 けれど、逃げもせず自宅で津波を迎えた人も少なくないのだ、と。


 



 どうせなにもかにも奪い流してしまうのならば、
 もう一度、訪れて、
 この災厄そのものを流し去ってしまってくれないか。


 詮無いことを考える。
 詮無い、詮無い、
 そう思いながら、それでも願わずにはいられない。
 そんな出来事もあるのだと、
 そう思い知るために、
 これほどの事が必要だったのだとしたら、
 私は、
 自分の愚かしさを恥じる。
 心から恥じる。