おばあちゃん、幸せでしたか。

 介護施設でベッドに横たわる祖母は、すっかり小さくなっていた。鼻には栄養を送るためのチューブが差し込まれ、酸素マスクをあてがわれた口からは、痰のからむ音が消えない。時折、痰を吐き出そうと咳き込もうとするが、もはやそれも叶わず、むせる一歩手前の状態で息を詰まらせる。窒息するのではないか、と思うが、しばらくするとまた痰をからませながら呼吸を始める。
 伯母が声をかけながら頬を軽く叩くと、うすく目を開け、訴えかけるような目でこちらを見た。すぐに、いっそう苦しげな表情をし、懸命に呼吸を続けようとした。伯母に、起こすと苦しむだけだからもう声はかけない方がいいのではないか、と伝えると、伯母は今初めて気付いたと驚いた顔をした。
 外は雪もよいで、黒い雲が立ちこめている。午前中には、湿った雪が白い筋を描きながら降っていた。静かな介護室に響くのは、向かいのベッドに据え付けられたテレビの音と、祖母の苦しげな呼吸音だけだ。曇り空からわずかな間、日の光が差し込んだ。暗い空から天使の梯子が下ろされた。だが、光に包まれた窓の外の景色も祖母には関係がない。
 することもなく、ただベッドの側に座り、老人を見つめていると、「おばあちゃん、幸せでしたか」、そんな言葉が頭に浮かぶ。この期に及んでその質問にどれだけ意味がなく、また無慈悲なものであるかは、よくわかっている。それでも、心の中で繰り返す。おばあちゃん、あなたの人生は幸せでしたか。
 祖母は、ここ十年の間、ほとんど意味のある会話はしていない。機嫌が良い時には、歌を歌い、呼びかけに返事をしたり、笑ったりはした。けれど、もう、自分がどこにいるのか分かっていなかったし、あるいは、自己に対して何らかの認識できていたとも思えない。ただ、積み重なる事のない時間だけが過ぎていった。それは、あまりに長すぎたのかもしれない。
 祖母が口から食物を摂取する事ができず、このままだと容態が危ない、と言われた時に、私の両親は共に病床にあった。ただそれだけのために、深い考えもなく、伯母は経鼻栄養管を用いた栄養摂取を受け容れ、親族の誰もその決断に反対をしなかった。すでに食物とは言っても、あらゆる食物をミキサーで細かく砕いて混ぜ込まれた物質、それは栄養物とは言えても、おおよそ食べ物とは呼びがたい物質、を長く食べさせられていた祖母に、今度は鼻から同じような物質が注入された。その措置が行われた時には、祖母はまだ笑う事もあったし、呼びかけに反応する事もあったのだ、と伯母は言った。一時は肌つやもよくなり、ベッドの上で呼びかけに表情を持って反応するようにもなった。だが、再び衰弱を始め、もうほとんど反応をしなくなった祖母が、生きる事がただ苦しみである状態になったとしても、栄養管を抜く事はできないのだ、と言う。
 向かいのベッドの人は、若く見える。身動きも会話もせず、一日中寝たままの状態でテレビに向かっている。脇に置いてある車椅子でどこかへ連れて行ったもらうこともあるのだろう。四人部屋の相部屋で、会話を交わす人は誰もいない。
 介護施設の向こう側には、霊峰として名高い山が見渡せる。冠雪した峰の雪が溶ける春先まで、この地の冷え込みは続く。雪解けを祖母が見ることはあるまい。見たとしても、彼女が季節の移ろいを理解する事ができたのは、もうずっと昔の記憶なのだ。厚い雪雲に覆われた霊峰を見上げながら、また思った。おばあちゃん、あなたの人生は、幸せでしたか。