本家の記憶

 昨年、大伯父房之助が死んだ。九十九歳。あるいは百歳になっていたかもしれない。縁者である母が入院中のことであり、委細はわからない。数年前から、老人ホームへ入居していた。葬儀はひどく簡素で参列者も少なく、当地に長く大地主として羽振りを利かせた一族の最後の当主にしては、あまりに寂しいものであったようだ。
 地元の葬祭場でひっそりと葬儀は営まれた。一族の誇りであった家に大伯父の遺体が立ち寄ることもなかった。
 房之助夫婦に実子はなかった。子供ほど年の離れた末弟の才造夫婦が同居し、才造夫婦の長子である和房が房之助夫婦の養子となった。だが、都会に勤め、家庭を持った跡取りは、もはや寂れた村に戻れる状況でなくなり、独身のまま地元に残っていた和房の弟である三郎がひとり家を守ることになった。
 あの家は、ひとりで老いて行くには広すぎる。今、母屋は閉め切りで、脇にある離れで生活しているのだという。かつて多くの人が暮らした門構えの広い屋敷は、息を潜めるようにし、かろうじて時を繋いでいる。

 本家の敷地の門を出ると、車一台が通るのがやっとの細い路地がある。その路地を挟んだ向かいに小さな石段があった。二、三段ほど下りると、用水路から水が流れ込む水溜場があった。昔は洗い場として使ったのだろう。水溜場の脇には、大きな常緑樹が茂り、真夏でもヒンヤリとした風が吹き込んだ。私が子供の頃には既に使われておらず、鯉が泳いでいたように記憶している。どれくらいの深さがあるのか、と覗き込んでみたが、木の影が濃く、底まで見通すことが出来ない。水は冷たく、井はどこまでも深いように思われた。
 薄暗い水溜場周辺では、そこだけ時間は緩慢に進んでいた。中天から路地に照りつける光に目を細めながら、横へ視界を移すと、暗闇の中に水が浮かんで見える。そんなときに、ふいにあったはずのない過去が幻影のように立ち現れる。
 その昔、本家に下働きの人間が多く出入りしていた、水道もまだ引かれぬ時代だ。子供の頃の私と同じように井を覗き込んだ人がいる。髪を後ろに束ね、着物姿で、その日の糧とする菜を洗っている。暑い日差しには木陰にやすらいだ。日暮れにはヤブ蚊におそわれた。遠くから祭りの笛の音が聞こえてきたこともあった。寒くなれば、水の冷たさは身に染みる。薄氷が張る水へあかぎれの手を差し入れたこともある。芽吹きのやわらかな時期には、水の冷たさも嬉しかった。彼女は、色あたらしい若水にも、水ぬくむ春にも、作業の合間の水鏡に姿を映した。時には、手を止め、映る自分の姿をじっと見つめる事もあったろう。水鏡に映る姿は、幾枚もの磨りガラスを重ねた扉越しに見える像のようにぼやけ、何重にもかすんで見える。それは、名も伝えられぬ私の縁者達であり、その中のひとりは私であったかも知れない。静かな水面をかすかに乱しながら、つい、と鯉が通り過ぎる。


 祖母が嫁いできてしばらく、曾祖父母が健在であった頃、房之助夫妻と三男坊である祖父母、末弟の才造夫妻は、本家の広い家屋に同居していた。次兄と四番目の弟は養子に出されていた。都会育ちの祖母は、あまり気が利く人ではなかったが、利発で朗らかなところが曾祖父に気に入られていたようだった。皆でそれぞれの膳を囲んだ食事時、曾祖父は自分が好きでないおかずなどを「あんた、これ食べられ」とヒョイと祖母の皿に入れたと言う。長男の房之助夫妻には子がなかったので、曾祖父母にとって初めての孫は、祖父母の長子であった。シンちゃんと皆に呼ばれる、その私の伯父は、障害を持って生まれた。
 曾祖父母はシンちゃんを可愛がった。祖母は、その事を最後まで感謝し、曾祖父母についてはついに一言も悪口を残すことなく死んでいった。祖母に言わせれば、曾祖父は、どこか飄々としたところのあるちょっとした趣味人で、曾祖母は村で評判の美人で、実に美しい岡山弁を話す人だった。
 曾祖父は、一番風呂に入る時、必ずシンちゃんを呼んで一緒に風呂に入れた。過去の記憶を私に話す時に、祖母とシンちゃんはお決まりの会話を繰り広げた。祖母がシンちゃんに尋ねる、なあ、シンちゃん、あの時、おじいさんなんて言うたかなぁ。するとシンちゃんは、シンやシン、言うた、と不鮮明な発音で早口に答える。おお、そうじゃ、シンやシン、そう言うたなぁ、と祖母は笑う。祖母とシンちゃんの会話はいつもこんな風に繰り返された。
 シンちゃんの記憶の引き出しには、過去の出来事が当時の鮮明な色のまま、整理されることなく詰め込まれている。引き出しから過去を取り出すのは祖母だ。祖母が唄うように訊ねる。「なあ、シンちゃん。あの人、あの時、なんて言うたかなぁ。」 シンちゃんはすぐにゴニョゴニョと私には聞き取れない不明瞭な発音で答える。それを聞いた祖母はすぐに、「おおそうじゃ、そう言うたなぁ」、と笑顔で解説する。
 シンちゃんはおそらく自閉症なのだろう。幼い頃からの過去の出来事が、シンちゃんの記憶の引き出しには色褪せることなく保存されている。シンちゃんの無尽蔵な記憶の引き出しを開け、きらめくような過去を、形あるものとして取り出すことができたのは祖母だけだった。引き出しの鍵を持つ祖母は既に亡い。今、シンちゃんは、その記憶を誰にも見せることなく、故郷に新しく出来たグループホームで日々を過ごしている。その内面に集積された記憶の輝きに、誰も気付くことがない。

 曾祖父母が亡くなった後、贔屓にされていた祖母は房之助、才造の兄弟夫妻とうまくいかず、隣地に家を建てた。それは、材を選び贅を尽くして建てた本家とは比べものにならない粗末な家であったらしい。祖母が嫁入りする際、本家が所有する田畑の一部を祖父に分け与える約束があったが、曾祖父母亡き後、その約束も反故にされた。死の床についてなお祖母はその事を恨んでいた。弱視であった祖父は、かろうじて工場勤めで日銭を稼ぎ、祖母もまた行商をすることで、家族は糊口をしのいだ。米が実れば実るだけ豊になれた時代、本家では、村で最初の近代的な台所が導入され、村中の人を集めてお披露目が行われたという。今、本家にはその田畑を耕す人もおらず、人に頼んでようやく田畑の形態を保っている。この田畑をめぐり、人が諍い、あるいは喜びに包まれることがあった事など忘れられたように、淡々とトラクターは耕耘し、稲は色づく。
 数年前、何年かぶりに祖父母の家があった場所を訪ねた。家屋は一度生活に余裕が出来た頃に建て直されたが、その後焼失し、今は車庫だけが残っている。焼け跡に立ち、周囲を見渡せば、豊かな里が広がる。美しい里だ。先祖がこの地に長く居を構えた事も頷かれる。だが、人の姿はまばらで、街道沿いには廃屋となった家屋や空き地が目立つ。そんな中、本家の古びた門だけは真新しく作り直され、ひっそりとした屋敷と対照をなしていた。樹種が分からなかった水路脇にあった常緑樹は、クスノキだった。見事な緑陰を作っていた大樹は、あちこちブツ切りにされ見る影もなく、記憶よりも小さな枝振りだった。冷たく澄んだ水が流れていたはずの水溜場は淀み、藻で濁り、鯉の姿も見あたらなかった。