イスラエル/パレスチナ 『ルート181』によせて

 何本かののパレスチナイスラエルのドキュメンタリーを見て感じたのは、私は、パレスチナの事を知らない以上に、イスラエルの人々の生の声を知らない、ということだ。

 イスラエルの世界的イメージは、最悪に近いだろう。無辜の民を虐待し、虐殺する狂信的な国家と言っても言いすぎではないくらいに印象は良くない。そして、イスラエル人もまたそのことを知っている。

 『ルート181』だったろうか、その映像から垣間見えるイスラエルにおけるユダヤ人の素顔は、思っていた以上に普通であったし、また思っていた以上に救いがたいものだった。

 普通である、というのは、少なくない数の人々が、自国が国際社会の中で孤立しており、世界中から指弾されているということを知っており、それと同時に、パレスチナ人に対する自国の行いについて罪悪感を持っているという点だ。

 救いがたい、というのは、その罪悪感にも関わらず、あるいはその罪悪感の故に、パレスチナとの和解が不可能である、と多くの人が思っている様子だったからだ。

 私もまったく知らなかった事だが、シオニストによるイスラエル建国より以前にパレスチナの地にはユダヤ人の小グループが移住して来ていた。それは、ごく平和裡に行われ、パレスチナの先住者と穏やかに、協力的に暮らしていたのだという。その頃のパレスチナは、シオニストが言うような荒れ果てた無人の土地ではなかったし、ましてや現在のように、嘆きと憎しみが渦巻くような土地でもなく、豊かな農園と畑のある、明るい場所だったようだ。当時のことを知るユダヤ人は、知っている。ヨーロッパで憎まれ、疎まれ、存在そのものさえ抹消されようとした自分たちを、パレスチナの人々は、あたたかく迎え入れ、そして、自らの土地を分け与え、生活の術さえ教えてくれたのだと。そして、当時を知るパレスチナ人もまた知っている。ユダヤ人は、自らを憎み、奪い、傷つけ、殺す人間ばかりではない。ともに手を取り合い、隣人として挨拶を交わし、ほほえみ合うこともできる人間なのだと。

 『ルート181』の終盤近くだったと思う、床屋のオヤジさんが店内でカメラに向かってパレスチナイスラエルについて語っていた。イスラエルの建国間もなくに、床屋のすぐそばにあるモスクでシオニストに追い込まれたパレスチナ人の虐殺が行われたのだと言う。イスラエルの公式見解は、パレスチナ人が攻撃を加えてきたのが先で、イスラエル側はそれに対して正当防衛を行っただけだ、というお決まりのパターンであった。オヤジさんは、その事件を目撃していたのだという。公式見解とは異なる事実を俯き加減で静かに話すオヤジさんの声に、散髪をしてもらっている客が被せるように公式見解を声高に主張した。だが、その声を振り払うようにきっぱりと、しかし絶望的な眼差しでオヤジさんは言った。「分かっている、みんな本当はわかっているんだ。彼らは与えた。そして私たちは奪ったのだ。」

 人は、出口のない空間で不当に虐げられることによっても絶望するが、まったく逆の立場でも同じように、あるいはそれ以上に絶望するのではないか。すなわち、自らに善意を持って接してくれた人を、不当に追い払い、殺戮し、その財産を奪い、その上に自らの安穏な生活を築きあげ、それはなお現在進行形で続いている、その事態に対してである。「彼らは与えた、そして、私たちは奪った」、この絶望の深さは、イスラエル中を覆っているようにさえ感じられた。自らの罪深さに対する良心の呵責に耐えかね、人は、おののき、あきらめ、現実を否定しようとする。イスラエル国内における熱烈なシオニストの人口割合は知らないが、決して多数派を占めるような人数であるとは思えない。強硬にイスラエルの正当性を言い募る頑迷とも思える人々の揺るがない視線の奥底にある不確かさ、それは自らの罪深さを知る故の不安感であり、その不確かさゆえに彼らは正当性をより一層強く、大きな声で主張し続けねばならないのだ。

 人間は、どのような人間も集団としてみればそうであると断言できるが、自らの利益のためだけに、人を殺戮し、苦しめ、そのことを平然と肯定できるほどには、強くはない。一時的な狂騒状態においては起こりうる事態かも知れないが、それを数十年の長きに渡って集団的に平常心で続けられるほど、人間は冷酷には徹しきれない。もし、イスラエルがそれを可能にしているのであれば、そこにはシオニズムだけでは説明できない、何らかの要因があると判断するべきだろう。

 かつてアーレントが著書『全体主義の起源』の中で書いていた。ホロコーストは再び起こる、一度起きた以上、必ずまた繰り返されるだろう、と。私はそれを比喩的な意味で、つまり、ユダヤ人以外を含めたすべての民族に降りかかる現代的人間の病理、あるいは災厄としてのホロコーストと受け取った。だが、本当は、そうではなかったのだ。アーレントは、ユダヤ人に対してのみの災厄たるホロコーストが再び必ず起こると予言したのだ、と今は思う。それは、端から見れば馬鹿げた被害妄想であるかのように思われるが、ホロコーストを現実の体験としてくぐり抜け、集まる親族や知人の不在によりその事実を何度となく追体験せざるを得ない彼らにとっては、紛れもない、差し迫った現実なのではないか、そう推測する。今や、ホロコーストを経験した人間が少数となったとしても、建国のベースにその事実がある限り、何度となくそのことは確認され、体験は記憶として強化されるだろう。アメリカのビルグリム・ファーザーズの受難と冒険が二百年を経た今もなお、神話としての効力を保ち続けるのと同様に。

 高い壁で覆われた狭い空間、僅かに空へ向かってだけ開かれている、口のすぼんだ円筒形の空間を思い浮かべるといい。閉じられた空間内部で、重奏低音のように記憶は鳴り響く。微かな音量であったとしても、音は残響し、確かな存在感を保ったまま、迫ってくる。そして、時折、耳をつんざくような凄まじい爆音が鳴り響く、ように感じられる。実際には、それはホイッスル程度の小さな警告音に過ぎないのかも知れない。だが、奇妙な静寂に包まれたその空間では、音は何倍にも増幅され、通奏低音と重なり合い、あたかも編隊で飛来する爆撃機の轟音であるかのように聞こえるのだ。

 イスラエルは、地理的には、「敵国」アラブ諸国に囲まれた、孤立した環境にある。国内で頻繁に起こる小さなテロは、円筒の外にいるものから見れば、「ささやかな抵抗」に過ぎないかも知れない。だが、内側に暮らす人間には、自らの生活を基礎からおびやかす脅威と受け止められるだろう。その判断が、合理的か否か、正当であるか否か、といった外部からの評価には意味がない。そのように感じられる、受け止められる、という事実のみが今、そこにある現実の社会にとっては、なにより重大な意味を持つのだ。

 始終鳴り止まない耳鳴りのような恐怖で充満した世界に、外側から「正しい言葉」が投げつけられる。「正しい言葉」は、円筒形の空間に向かって投げつけられる石礫のようなものだ。それは、耳鳴りから一時的に気を逸らせる騒音にはなるかもしれないが、やがては音響を増幅させ、耳鳴りをより悪化させる。いつの世においても、「正しいだけ」の言葉は、人の心には届かない。むしろ、それらの言葉が、社会に席巻し人を動かすときは、社会にとって最大級の害悪となりこそすれ、事態を改善する方向には結びつきはしない。

 映像で見る限り、イスラエルの人々は、表面的には平穏な暮らしをしているにも関わらず、共通して、精神の何かが損なわれたような表情をしているように思われた。脅えとも怒りともあきらめとも絶望とも取れるような、平静に会話を続けてみせる背後にはそんな負の感情が深く静かに広がっている。

 私が今、ここで努めて書こうとしているのは、ごく普通のイスラエルの人々についてである。パレスチナ人を確信犯的に殺戮する狂信的なシオニストではなく、できれば、誰も殺したくない、傷つけたくないと思っているような大多数の人々である。どのような人種、あるいは民族であろうとも、ごく一部の、ほんの僅かな人数を除いて、人間を好んで殺戮し、虐げたいと望む者はいない。社会の大多数を構成するこれら普通の人々が、なぜ、圧倒的不利な状況に置かれている隣人に攻撃を加える事を是とするのか。答えは、我々の日常が可能とする想像からそう遠くない場所にあるはずだ。

 だが、同時に思うのは、イスラエルという国家が、国家主義的なシオニズムを建国の精神的支柱としているならば、その方向性を大きく転換させるには、きわめて大きな困難を伴うことになるだろう、という予感だ。国家主義シオニズムの否定は、すなわち、イスラエルという国家の存続そのものの否定である、という言説が、意識的、無意識的に人々の間に充満することは、容易に見て取れるからである。この解決のためには、あるいは、イスラエルという国家の成熟を待つしかないのかもしれない。ここで言う成熟した国家とは、建国の神話を必要とせずとも、その国家の過去・未来における存続の正当性を自然なものとして、対外的にも国内的にも受け容れられる状態の事である。建国から二百年を経たアメリカは、ようやく神話的な建国の父祖とは明らかに肌の色の異なる大統領を戴くことが可能となった。何度かの揺り戻しの反復を経ながら、やがて神話は、名実ともにお話としての「神話」になっていくのだろう。イスラエルが国家として成熟するまでに、いったいどれくらいの年月を必要とするのかは、わからない。だが、今、そこに、どうしようもない現在があるということ、その事実に耐え、受け容れる事は、同時代の人間に課せられた何よりの責務である。

 

(2009/2/27)