スティーブ&ボニー (17) ソドムとゴモラのケーキ

夕方になり、レセプションの会場に入った。レセプションではだいたいコース料理が出てくるので、おなかいっぱい食べられるはずだが、これまでの料理を考えると、味は期待できないかもしれない。200人程度は入るのだろうか、広い会場にたくさん並べられたクロスのかかった丸テーブルにはテーブルウェアがセッティングされ、華やいだ雰囲気だ。私たちは、会場の前方の入り口近くの自分たちのネームプレートの置かれたテーブルに座った。テーブルウェアの中には、どこかの企業のカードが差し挟まれている。どうやら、この企業がこのレセプションのスポンサーのようだ。こうしてあらゆるものにスポンサーを付けて企業の寄付を募るというのが、アメリカのやり方のようだ。クリス・クレメント、それから、丹羽先生も同じテーブルにいる。クリスの美食家力で、今夜の料理もおいしいものが出てこないだろうか。

人でいっぱいの会場は華やいだ雰囲気に見えるが、見渡すところ、白髪頭も目立ち、高齢者が多いようだ。やはり、今回の学会は、高齢化率が高いのだろう。それがアメリカの原子力業界全体に共通するものなのか、廃炉になった核施設を抱えるこの地域の特性なのかはわからない。もしかすると両方なのかも知れない。遅れてスティーブとボニーがやってきて、ここに座ってもいいかと丁寧に確認してから、同じテーブルについた。スティーブは、私と目をあわせて、ふぅ、やれやれ、というように息を吐いた。彼はいろいろな運営の仕事で、走り回っているようだった。丹羽先生は、スティーブが隣に座ったものだから大喜びで、テーブルの同席の人たちに、また「彼は数学者なんだ」と嬉しそうに紹介をはじめた。横でスティーブが、困った顔をしながら「いやいや…」と言うような素振りをしている。

やがて、食前酒がまわってきた。私の隣に座っていたジャックが、地元製造のワインがあるのを見て、興味津々という表情をしている。ここはワインの産地なんだよね、と話しかけると、知っている、という。でも、自分はワインにかんしては、まったくの偏見をもっていて、フランスのワインがトップだというのは譲らないから、と言う。そう言えば、どこかのレストランでワインを一緒に飲んだ時、最初のテイスティングで、彼は高い鼻をワイングラスの中に入れて真剣に吟味していた。ティスティングは形ばかりという印象だったけれど、本場フランス人はこんなに本気でティスティングをするものなのかと感心したものだった。それ以降、私もマネをしてみようとはするのだが、なにせワインをそんなに飲みつけてもいないし、なによりワイングラスの中に入れるのに鼻の高さが足りないので、どうにもサマにならない。今日も彼は、高い鼻をグラスに入れて真剣に吟味している。口に含んで、ティスティングした後、にやりと笑ってこちらを見る。きっと心の中で、フランスのワインとは比べものにならないね、と言っているに違いない。

会場のステージでは、音楽の演奏がはじまった。男性と女性のボーカルに電子ピアノの伴奏がついてくる。演奏の途中で、自己紹介が入った。電子ピアノを演奏していた男性が、みなさまとまたお目にかかれて光栄です、と言う。彼はBリアクターのコンサートの時の指揮者だった。クラシックだけではなくて、ポップ音楽の演奏も自分はしているんです。今晩は楽しんでいってくださいという。これもスティーブの手配のようだ。音楽を聞きながら、料理も運ばれてきた。最初は、前菜のサラダ。トマトが二きれと、キュウリを縦に長くスライスしてそれで円を作り、その中にレタスのような野菜が入れられている。ずいぶん凝った盛り付けだなと思いながら、口に入れてみた。サラダだから、味付けはあまり関係ないから、美味しく食べられるだろう。ところが、だ。一口食べたところで、手が止まった。これまで生きてきて、これほど味のないトマトと、まずいキュウリを食べたことがあっただろうか。しばらく記憶を掘り返してみたが、思いあたらない。そもそも、放っておいてもぐんぐん育つキュウリが、どうやったらこんなに青臭いばかりで苦みさえ感じる味に仕上がるというのだろうか。中に入っているレタスと来たら、そのへんに生えている雑草と変わりないのではないかという味だ。ドレッシングだって、酸っぱいのか甘いのかわからないような、私の味覚では、味付けとの表現できないものだ。そもそもサラダなんて、凝ったドレッシングを作らずとも、オリーブオイルと酢と塩こしょうをかければそれで美味しく食べられるのに、どうして手を加えた挙げ句にこんなまずい味付けにしてしまうのだろうか。私は、これまでの自分の言動を心から反省した。以前、フランスを訪問した時、フランスの料理はこってりしたものが多くて、味付けも強いので、文句ばかり言っていたのだった。確かに、フランス料理は、あっさりしたものが好きな私には胃に重たく、また肉類は臭みが強くて食べ付けないものも多かったのだけ れど、少なくとも、ちゃんと料理の味付けがしてあった。ここで出てくるものは、「味付け」という概念じたいが存在しないか、別のことを意味しているのではないかと思えるものばかりだ。フランス料理に文句を付けていた私の馬鹿、あれは慣れない味ではあったけれど、ちゃんと食べ物の味がしたじゃないか。ありがたく食べなくちゃいけなかったんだ。そう反省しながら、ちらっとテーブルの向こうにいる美食家のクリスを見やると、彼は平然とサラダを口に運んでいる。きっと真の美食家は出された料理に文句を付けず、どれもきれいに食べるものなのだろう。

出された料理の味に目を白黒させているのは、私一人のようで、他の人はなごやかに歓談しながらサラダを口に運んでいる。前方のステージでは、ひととおり演奏が終わった後に、会場からの飛び込みの演奏がはじまっていた。OECD/NEA(経済協力開発機構・核原子力機関)のテッド・ラゾだ。彼はバンド演奏が趣味で、ギター演奏の機会があると、そのたびに飛び入りで参加するのだった。ダイアログにも常連で、ほとんど毎回参加してくれている。彼のギターの弾き語りのすごいところは、それがちっとも上手でないことだ。音はよく外れるし、突っかかるし、歌も上手とは言えない。だけれど、臆することなく、毎回、ぜひ自分に演奏させてくれ、とステージで演奏を披露し、みんなの拍手をもらっていくのだ。なるほど、堂々としてさえいれば、それで自分のやりたいようにやっても構わないんだな、と日本人にはなかなかない感覚を学ばせてもらった。今回も、テッド・ラゾは、つっかえつっかえ、上手とは言えない60年代70年代の懐かしのカントリーロックの演奏をしている。

テッドの演奏と一緒に運ばれてきたのは、サーモンのムニエルだ。コロンビア川ではサーモンが捕れると聞いていたから、これはもしかすると地物のサーモンなのかも知れない。かけられているクリームソースの味付けは微妙だけれど、まずいというほどのものではない。サーモンは美味しい。よかった。食べられるものがやってきた。それにしても、今回の日程では、これまで一度も牛肉を口にしていない。アメリカを訪問する前、アメリカに滞在・渡航経験のある知人たちは口を揃えて、アメリカはどれだけ食べ物がまずくても、ステーキだけは美味しいから。それは間違いないから、と太鼓判を押されてきたので、楽しみにしてきたのだけれど、美味しい美味しくないどころか、牛肉の姿さえ見かけていない。まずは、食べられる物を食べておかないと、空腹のまま明日を迎えることになってしまうと思いながら、せっせとサーモンを口に運んでいるうちに、テッドのギターは終わり、ステージ上では、講演がはじまるという。OECD/NEAのウィリアム・マグウッド事務局長だ。彼も、ダイアログに何回か来たことがあるので、顔は知っていた。レセプションでの講演だから、講演とは言っても挨拶程度の軽い話だろうと思っていたが、壇上には、スライドを映写するスクリーンまで下ろされて、なんだか本格的な雰囲気だ。マグウッドはマイクを握って話しはじめた。最初は冗談を交えて和やかにスタートした話しだが、どうやら、本格的な放射線防護方針についてのレクチャーを行っているようだ。レセプションの時に、こんな本格的なレクチャーを聞かされるのでは、料理もなにもあったものではないと思うのだけれど、サーモンを食べ終わったところに、もうデザートのケーキが運ばれてきてしまった。パンも固くて小さくてパサパサで美味しくない物が少しだけしかこなかったし、サーモンだけでは、お腹いっぱいになるには足りない。私はがっかりしながら、マグウッドの話しを小耳に入れながら、チーズケーキと思しき物体と� ��き合った。上にクリームらしきものがどっさりと載ったそれは、見るからに大味な風貌で、クリームのなめらかさも感じられない。口に入れた瞬間にいかなる味がするのか。勇気を振り絞って、一口、口に入れてみる。想像したとおりだった。あまり精製されていない砂糖をどっさり放り込んでそのまま固めたようなべったりと甘い味がする。ふたたびがっかりしながら、クリスや丹羽先生を見ると、黙ってマグウッドの話しに耳を傾けながら、黙々とケーキを食べている。私は、美食家には向いていないようだ。

食べることを放棄して、あらためてステージ前方のマグウッドを見て、会場の様子を眺めると、なんだか会場の様子がおかしい。マグウッドの話しが進めば進むほど、会場の雰囲気は悪くなっていく。多くの人は、デザートを食べかけか、食べ終わった様子で、椅子に身体を斜めに傾けたまま、明らかに不満そうな様子で、マグウッドを睨むように見つめている。次第に、ブーイングがとびはじめてもおかしくないほどの険悪な空気が満ち始めた。その様子は前方のマグウッドにも伝わっているのだろう。とても話しにくそうだ。マグウッドの話の内容は、OECD/NEAが採用している放射線防護原則のLNT仮説についてのものだった。彼が、LNT仮説を採用することの意義とメリットを説明すればするほど、会場は不満を募らせているようだった。ほとんど怒声が飛び交ってもおかしくないほどの険悪な雰囲気のなかで、マグウッドの講演は終了した。

会場前方には、日中の学会の時と同じように、前方にマイクが用意されており、会場からの発言ができるようになっていた。待ち構えていたかのように会場の何人かが前方に走りより、マイクを掴み、話しはじめる。LNT仮説がいかに馬鹿げているかを、滔々と演説する。自分は、年間1ミリシーベルトだなんて実に馬鹿げていると思う。50くらいはいいんじゃないか。待ち構えていた別の人がマイクを奪って言う。自分は100でいいと思う。その次の人がさらにマイクを奪って言う。いや、自分は250くらい大丈夫だと思う。さらに一人男性が会場から前方に走り寄って、やはりマイクを奪い取って叫ぶ。「自分は、年間600くらいいけると思うね!」 会場が一瞬、どよめいた。拍手が起きるかと思ったが、代わりに奇妙な高揚した静寂に満たされた。私の頭のなかでは、オークションの落札のハンマーが響き渡っていた。誰ひとり、講演者のマグウッドに質問を投げかけもしない。自分の主張を一方的にがなり立てるばかりだ。これはいったい、なんの騒ぎというのだろうか。私はうっかりと、旧約聖書に出てくる伝説の都市、ソドムとゴモラにでも紛れ込んでしまったのではないだろうか。唖然としながら、横にいるスティーブを見ると、彼は、大きな目に悲しみを湛え、無表情のまま、なにかを堪えるようにじっとステージを見つめていた。私は、これまでの会話のなかで、彼が私たちのダイアログの活動を賞賛していた理由を痛いほど理解できた。彼のまわりでは、こんな感じで人の話に耳を貸そうともせずに、ひたすら自分の意見ばかりまくし立てるようなことばかりなのだろう。それが、心優しい彼にとってどれほど苦痛なことであるか。そこに飛び込んできた、互いの言葉に耳を傾け合いながら少しずつ理解を深めていく活動は、もしかすると彼にとっては救いのように感じられたのかも知れない。私のテーブルに座っている人たちは、みな、口を開かないで、じっと様子を見つめている。気の毒なマグウッドは、ステージに立ったま ま、落ち着かない様子でなるべく表情を変えないよう努力しているのが私の席からも見て取れる。マイクを握る人は、誰ひとりステージの上のマグウッドを見ようともしていないというのに、マイクへの列は途切れない。いつまで経っても会場からの発言者が終わりそうもないので、私は先に帰ることにした。スティーブに、そっと、私、もう帰ろうと思うのと言うと、彼は静かに、そうした方がいい、といった様子でボニーに伝えてくれた。会場の喧噪を後に、ボニーとふたりで、帰路についた。