スティーブ&ボニー(7)

アランの運転する車は、砂漠を突っ切って走る道路を、スティーブの埃だらけのRV車の後ろについて北上していく。ハンドルを握りながら、アランは、自分たちはこの道をずっと北にカナダ国境側に向かって4時間くらい走った街に住んでいるんだ、と説明する。働いていた頃は、街中に住んでいたんだけど、引退してからそっちに移った。とてもいいところで気に入っているよ。今回の会議のために、昨日こっちに来て、ホテルに泊まってる。だから、昨日通った道を、今こうやってまた戻っているというわけさ。なに、これくらい大した距離じゃない。そうそう、日本のあの地震津波の時はどうだったんだい? ああ、あなたも家族も被害はなかったんだね。それはとてもよかった。自分たちも、福島で原発事故がおきたと聞いた時は、もちろんびっくりしたさ。まさか、日本であんなことが起こるなんて。あれだけ技術が発展した国だからね。日本は災害が多くて大変だ。ここは、地震はないな。もちろん津波だってない。台風も来ないし、そう、災害といえば野火(wild fire)だ。これが一度ひろがると、手が付けられない。だいたい起きるのは夏に決まっているんだけれど、去年も街のすぐそばまで来て、とても恐ろしかった。年々増えているし、これからもどうなることか。

時折、助手席の私に視線を移しながら、彼は淀みなくきれいな英語を話し続ける。後部座席に座っている彼と同じ年頃の奥さんは、品のいい帽子をかぶっていて、アランの言葉にごくたまに相槌を打つような言葉を添えるけれど、ほとんど口を挟まず、静かに話を聞いている。奥さんもとてもきれいな英語だ。アランは、ところどころに小さなユーモアを加え、笑いを取ることも忘れない。自信たっぷりの話しぶり、この人はこれまでずっと人の輪の中心にいて、そのことをあたりまえのこととして生きていたのだろう。きっとハイスクールでも女の子にモテモテで、プロムパーティでも学校で一番人気のパートナーを射止めて、それだって自分もまわりも当然のこととしてみなす、そういう位置にいたんだろう。昔見たアメリカのハイスクール映画を思い出しながら、そんなことを思っていた。

喋りっぱなしだったアランが、少しだけ口を閉じた後に、ところで、君が事故の後どんなことをしてきたのか教えてくれるかい? と私に質問を投げかけて来た。さて、おいでなすった。なんにせよ、彼がどう思おうとも、答えないわけにはいかないだろう。私は説明をはじめた。アランの聞き取りやすい英語を聞いていたおかげか、なぜか自分も英語を話せる気分になっていた。まず、自分は事故前は放射能に対するなんの知識もなかったこと、原発のことも興味を持っていなかったこと。事故が起きて大混乱になって、グループを作って放射線の測定を始めたこと。地域の人たちと一緒に測定して、どういうふうに暮らしていくかを考えて来たこと。かい摘んで説明する内容を、アランは、ふんふん、と頷きながら聞いている。ときおり、測定というのはなにを測ったんだい?と、会話マナーのお手本のように質問を挟むのも忘れない。全部測ったよ、内部被曝外部被曝、食品測定。みんな知りたいのは自分自身や家族の被曝量だったから、空間線量じゃなくて、個人線量を測るのが大切だったの。私の英語も順調だ。だいたい間違いなく伝わっているようだ。おおよそ話し終えたところで、アランは私にさらに質問をしてきた。ところで、君にぜひ教えて欲しいんだが。私は原子力にずっとかかわって来ているのだけれど、一般の人たちは、私たちの説明にまったく耳を貸そうとしないんだ。放射能に途方も無い危険性があると活動家もマスコミも騒ぎ立てて、一般の人もそれを信じてしまう。もうそんなことがずっとずっと続いて来て、政治家もそれに流されてしまうから、この国の原子力政策はめちゃくちゃだ。進むかと思うと、政治状況が変わって、まったく別の方針になってしまう。それがずっとだ。自分たちは、本当に困ってしまっている。いったい、どうすれば一般の人たちにわかってもらえるのだろうか? 彼は、日本人には大げさに思えるような身振りで、けれど、本当に困っているのだろう、この時ばかりは真剣な 調子で、私に問うた。

私は、福島の原発事故が起きる前の2000年代、「原子力ルネッサンス」と呼ばれる動きがあり、長い間停滞していたアメリカで原子力発電所の建設が大量に計画されたことをぼんやりと思い出していた。そういえば、1979年のスリーマイル島で事故が起きて以来、アメリカでは原子力発電所の新規建設は1基も行われていないのではなかっただろうか。そして結局、その「原子力ルネッサンス」も、福島の原発事故と再エネ技術の飛躍的な発展、そしてアメリカ国内でシェールガスが大量に安価に供給されることが可能となって立ち消えになっていたはずだった。ということは、アランたちのようなアメリカの原子力関係者たちは、1979年以来、通常の原子力発電所の稼働以外にどんな仕事をしてきたんだろう。まさか民間人が核兵器の開発をしてきたわけはないだろうし。(核弾頭だって飽和状態で、手持ちのものを管理するだけで大変なコスト、これ以上の数は必要ない、なんて話も聞いたことがある。) もしかすると、スリーマイル事故以来の数十年もの間、彼らは、長い長い停滞と世間の「無理解」と向き合い続けて来たのかもしれない、とその緩慢な時間の流れをふと思った。

だが、そう思いながらも、アランの質問に対して、私は飽き飽きとした退屈さを感じていた。ああ、やっぱり、おきまりのこのパターンだ。私に、どうやったら効果的に住民を「説得」できるのか、原子力に「正しい」理解をもってもらえるか聞きたいのでしょう。お生憎と、私は住民を「説得」することには興味がないし、ましてや、原子力がどうだとかなんて関心がないを通り越して、そもそも知ったことではないのだ。なにがうれしくて原子力事故でさんざんな目にあった後に、原子力普及員のような酔狂な真似をしなくてはならないというのか。自分たちの生活をなんとかするのに手一杯だというのに。少しは想像を働かせてみてほしいのだけれど。けれど、それを私に尋ねるのがどれほどお門違いのことなのか彼に説明するのは、ドライブの片手間、ましてや私の英語力では、繊細すぎる内容であるように思えた。私は、仕方なく、対話をすることが大切なんです。住民自身が状況を把握すること、そして、専門家も一緒に考えることが重要なんです、と、まるでどこかのマニュアルにでも書いてありそうな言葉を、自分でも飽き飽きとしながら答えた。アランは、わかったようなわからないような、だが、彼の想定する回答とは大きく異なっていたというような、いまひとつ乗り気でなさそうな表情をした。ところで、自分からしてみると、韓国の原子力政策はすばらしいと思うんだが、どうだろうか。あの国は、国家としての指針が一貫していて、国民の理解もある。うちの政府は、方針が極端から極端に変わって、自分たちはもう大変だ。なんとか韓国みたいにならないだろうか。彼はまくし立てるように付け加えた。私は、以前の国際会議のときに会った韓国人の原子力研究者が、極東アジア人らしく抑制された表情ながらも、福島原発事故の直後の韓国内での一般公衆のパニックぶりと、その後の、過剰とも言える放射線忌避感情についてどう対応すればいいのか弱り切っていた様子を思い出していた。いやいや、世の中 そんなに簡単なもんじゃないですよ、どこでも原子力はしち面倒臭いことになってるんですよ、とでも、アランに返したかったが、韓国の原子力政策についてまで口を挟むほどの関心も熱意ももちあわせておらず、黙っていることにした。そして、もうひとつ、ここまでのやりとりで、社交的なマナーとしては非の打ち所のない実にエレガントなアランの会話作法のうちに含まれる、私への無関心さに気づいたのも沈黙を選んだ理由だった。彼は、私の話している内容になんて、ほぼ一切興味を持っていない。私自身に対しても関心などない。ただ、ICRPが推薦して来た(肩書きもない、なにをしてきたかもわからない)人間を失礼なくもてなそうとしているだけだろう。饒舌さと裏腹に垣間見える無関心さが、私の彼との会話への意欲を削いだ。それは、会話作法なんてまったくなっていない、無骨なわかりにくい英語を話すスティーブとのやりとりとは対極にあるもので、私は、自分のホームステイ先がスティーブの家であったことに心から感謝した。

この会話ののち、アランは私と原子力政策について話すことに関心を失ったようだった。車の中の会話のペースは途切れがちになり、やがて、車はハンフォード・サイトの脇を通り抜け、さらに北上を続けた。周囲にはもうもうとした煙が立ち込め、視界が悪くなってきた。天気が崩れてきたわけでもないし、風がそんなにあるようにも見えないが、霧か、煙だろうか。アランが、少し離れたところで砂漠の上を車が走り、砂煙が立ち上っている場所を指差す。あれだ。乾ききっているから、ああいうわずかな砂煙が立ち上ると、それだけでほとんどないように思える風に乗って、どんどん砂煙が広がっていくんだ。アメリカ軍が、ここにハンフォードサイトを建設したのも、この砂煙が理由だ。原子炉の稼働には、大量の水が必要だから、コロンビア川が近いというのも理由ではあるけれど、ここの砂煙は、リアクターを隠すのに好都合だった。敵軍が来た時に標的を定められないようにする必要があるからね。おっと、もちろん、それは当時の話で、いまは日本はとてもいい友人だよ。と彼は、お約束のようにユーモアで付け足していた。そう、戦争終了間際にアメリカ軍は急ピッチで、技術の粋を集めた原子炉をここに建設した。それは、敵国日本に原子爆弾を落とすためだ。この軍事拠点は、敵であった私たちの祖父母、あるいは曽祖父母を標的として建設された。乾いた砂煙が立ちのぼる上空を日本軍の戦闘機が襲来する様子を想像してみたが、その幻影は、アランの快活な笑い声にかき消された。