2020/03/20 構造が見えること

宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』を読み終えて、Twitterに簡単に感想とも呼べないメモを置いた。

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自分でこれを書いたあとで、ふと気づいたのだが、原発事故後直後から2014年頃にかけて自分に加えられた、反原発系の人からの攻撃がまったく気にならない上に、みじんもトラウマにもなっていないのは、きっとこれが理由だったんだろうと思う。
(半分以上本気で、よい人生勉強をさせていただきました。おかげさまで、それまでまったく世間知らずで不用心この上なかった私が、速攻で用心深い振る舞いを覚えることができました。と思っている。)

いまも、ごくたまに私の名前を憎々しげに吐き捨てるように言及する左翼系のかたを見かけはするのだけれど、不快に思うことはあるにせよ、心理的なダメージにはほとんどならない。それは、それがどういう構造のなかから、どういう意図を持って発せられ、またその発言が波及する公共圏がどの程度の広がりと深さをもっているか、ということを、おおよそのところわかっているからだろう。把握している構造以上の問題がそこにはらまれていないのなら、対処方法は決まっているので、心を煩わせる必要はない。また争うつもりもない。

トラウマという点でいえば、科学者と科学にまつわる言説の方が私にとっては強いトラウマになっていて、それは、たぶん、彼らがなにゆえそこまで自らの知でもって人びとを支配したいと願うのか、そして、それに従わない人びとを強く憎み、侮蔑するのか、その構造が理解できていないからではないかと思う。(あるいは、そうした侮蔑の眼差しを受けるのは、私が学位も社会的に誇れる肩書きを持たない女性であるからかもしれない。学位や社会的地位を持つ人や、男性に対してはそこまでは強い態度は示されないのかもしれない、とは感じている。) やがて、その構造が把握できると、それも気にならなくなるのかもしれない。