私信に代えて

それはたんなる思い込みに過ぎなかったのかもしれない。140文字の短い文字の羅列を発信した時、向こう側に「誰か」の表情が見えることがあった。直接リプライが飛んでくるわけではない、いわゆるエアリプで会話が行われているわけでもない、オンラインにその反応が見えるわけではない。けれど、確かに私の発した文字列を読み、少し呼吸を止めるような、あるいは戸惑いのような、あるいは、小さく笑みをこぼすような、そんなさざめきがディスプレイの向こうから漂ってくることがあった。

言葉は、特に文字として書き連ねた言葉は、つねに誰かーいま、ここにいない誰かーに対する呼びかけ、いわゆるタイムラインと呼ばれる文字列に置き換えられた人格に対してとは別の、「誰」とも名付けられない誰かへの呼びかけであった。反応は目に見えないにもかかわらず、間違いなく「誰か」に届いた、と確信に近い手応えを抱くときがあり、その「誰か」が誰であるかもわからないまま、その手応えを頼りに、私は言葉を発し続けた。

それが、あなたたちだったのかどうかもわからない。もとより妄想じみた私の思い込みでないと証拠立てるものもなにもない。けれど、その一部は、やはりあなたたちだったのだろう、と思う。長い音信不通のあとの思いがけぬ再会に沈黙を守ってくださった皆様方へ、謝意を。ご無沙汰しておりました。私はなんの因果かこのように暮らしております。懐かしいお名前を目にして、過ぎた時間を初めて思い起こした気がします。またいつか、どこかで。