ここにいる意味

自分がここにいる意味を考えることがしばしばある。おそらくは現実にはなんの役にも立っていない。足を運び話を聞かせてください、と、なんの役にも立たないのにお願いして回る。お願いしてまわっているこの私はなんなのだろう。

けれど、きっとこんなことは考える必要はないのだ。ようこそおいでくださいました、お忙しいところありがとうございます、と型どおりの挨拶を交わした後、笑顔で近況を報告し、あるいは自己紹介をして、つまらない冗談を言い合い、その中に時折、そっとオブラートに包んだ本音をこぼし、それに気づいた人も気づかない人も、場の流れのままに会話を続ける。私がここにいるのは、たんに原発事故をきっかけとして知り合った友人としてでしかなく、それ以上の意味はないし、またそれ以上の意味を持つ必要もない。机いっぱいに並べられたもてなしの料理を味わいながら、そう思った。

「避難者」というパッケージにくるまれた人たちがいるわけではない。最初にその人そのものの人生があり、そこに避難という出来事が浸潤しているだけだ。浸潤の度合いは人によって違うし、浸潤のあらわれ方も人によって違う。他愛ない会話にふと差し込まれる陰りも、ただ日常として、私たちは時に嘆き、時に怒り、時に諦め、それらも笑顔に変えてやり過ごしていくのかもしれない。

ほろ酔い加減の夜の電話は、なにか話したいことがある、というサインだ。軽口をたたく風情で、何気ない様子で語りはじめる。舌がなめらかににまわり始めた頃「本当のこと」が語られる。

俺がしたいとかしたくないとかじゃないんだな、伝えなきゃなんねぇんだ。子供は覚えてっけど、孫らはあそこのことなんて覚えてないから、その次の世代はもっとだ。俺は伝えなきゃなんねぇし、あなたがそうやって伝えてくれるから俺は連れて行くの。

被災者とは、出来事の前と後の双方を経験したものであると同時に、証言者、目撃者でもある。被災前と後の記憶をつなぐことができるのは、その双方の時間を経験した目撃者だけだ。時の流れを俯瞰し、歴史的時間の流れの中に自分の存在を位置づけることによって、彼は受難者である自分を被災者ー被害者ー翻弄される者から、出来事を記憶し伝える者として、意志をもって主体的に生きる存在へと変容させる。そして、それをさらに外側から目撃し、書き留める私がいる。

幾重にも渦を巻くように時間は流れ、眼差しは錯綜し、混沌とした現在にさまよう私たちは、ただ受難者であり目撃者であり証言者であろうとする彼の意志によって、遠い未来の姿を手繰り、ぼんやりとその姿を見ることができるのかもしれない。