14時46分

 自宅でぼんやりと、低くにぶいサイレンが遠く鳴るのを聞いていた。
 サイレンが鳴ってよかった。
 もし鳴らなければ、あの日に釘付けにされたまま置き去りになっている私の心の一部は、どうすればいいかわからなかったろう。
 忘れないで。
 なんて凡庸な言葉。
 ついで、忘れるのはよいこと、人は自然に忘れるもの、忘れないなんて土台無理、そんな言葉がいくつも浮かび、ゆらゆらと漂う。
 忘れないで。
 わからない。なにを忘れないでいたいのか、忘れないでいて欲しいのか、それもわからない。
 忘れないで。
 遠いサイレンを聞きながらその言葉を反芻した。

 

 
 一年ほど前の会話。

「 測る必要なんかないっぺ、どうせ大した線量じゃないのわかってるもの。オレ自分で測ったもの、支所で線量計借りて。
 年間追加が1ミリとかいうやつね、ああ、そう、オレはこのくらい。じゃ、大したことないね。
 田んぼ? はあ、やめちまったわ。作ったって食べる人いないもの。
 トラクターも売っちまった。持ってたら未練が残るから。
 孫? 正月にはようやく来たよ。でも、ここのものは何も食べさせねえ。水もペットボトル買ってくる。
 だって、気持ち悪いでしょ、きっと。オレらは気にしねえけど。
 オレらは年だからなんにも気にしないで食べるよ。
 だって測ったって、大した線量出ないんでしょ?
 山菜は食わなくなったな、うちの裏山に山菜いーっぱい出るとこあんの。
 そこちょっと線量高いって言うの、震災のあと、一回もいかねえ。
 タラノキとかいーっぱいあって、見事だった、惜しかったなぁ。いまは食わねえよ、なんだか気味悪いもの。
 オレらは、もう年だから心配しねえけど、でも、将来はどうなるかわかんねえってんだべ?
 煙草のリスクと比べたら、大したことないリスクなんだべ? 知ってるよ。
 でも、将来はどうなるかわかんないんだっぺ。
 いやー、うちの作った米はうまかったぞー。また食いてえなあ。でも、トラクター売っちまったんだよな。
 どうせ孫には食わせらんねえし。
 測れば大丈夫って言ったって、こんなとこで作った米、もらうほうも気持ち悪いべ。
 いやオレらは心配してねえよ。ここで暮らすしかないもの。」


 一年後、彼は、測定グラフを手にした談笑の輪の中にいた。
 それぞれのグラフを手に、隣人たちが、測ればわかる、と口々に話すのを、少し戸惑い気味の表情で聞いていた。
 突然思いついたように、あかるい表情で「誰か、これ身につけて山に入ってみればいいんだっぺ」「誰か、山に行ってみればいいんだべ」、そう繰り返した。
 誰かが「そうだ」と答えた、けれど、それは、彼の心の中の声であったかもしれない。
 裏山の線量が高い、と、まるで興味がなさそうな表情で言った1年前の彼を思い出していた。

 まもなく、彼が線量計回収と配布の手伝いを申し出てくれていることを知った。
 1年前の彼と、先日の集まりでの彼の笑顔を交互に思い浮かべて、泣いた。
 最初嬉しくて、その次に悔しくて、その後にまた嬉しくて泣いた。
 失ったものの大きさに比して、なんというささやかな恩寵。
 それがなにものにも代えがたい喜びと希望であることを悔しさと共に噛みしめながら、泣いた。

 (彼は、おそらく、遠くないうちにD-shuttleを身につけ、自分自身で山へ出かけるだろう。)


 4年。