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ねえ、あの人たち、ほんとに帰れるの?
帰りの車中、年齢に比して、(けれど、彼女にはよく似合った)舌足らずの喋り方で、唐突に尋ねられ、言葉に詰まった。
その問いには、なんの意図も悪意もなく、ただ心に浮かんだ疑問をそのまままっすぐに言葉にしただけであったことがわかったから。
私は、いくつか言葉を繋ぎ、状況を説明し、「とても難しい状況だ」と伝えた。
同行のもう一人が、説明を補足した。
私たちの説明が、どの程度伝わったのかはわからない。
説明のあと、一呼吸おいて、やはり同じように邪気なく、彼女は答えた。
いろいろ、考えちゃうね。
私が考えたから、どうなるってわけじゃないんだけど。
ふたたび私は言葉に詰まり、口を閉ざした。
彼女の言葉は、誰もの心の大勢を占め、けれども、なすすべがないゆえに、そのまま口に出すことをためらっていた言葉であったから。
あの人たち、ほんとに帰れるの?と尋ねられたとき、私は、本当はこう言いたかった。
私も、それを知りたい。皆、それを知りたい。ただ、それだけを。
私が考えてもどうなるわけじゃない。どうにもならない。そんなことはわかっている。けれど、それでも、わずかでもの悪あがきができれば、そう思っているんです。
しかし、これらの言葉は、率直な彼女の問いに対して、あまりに回りくどく、言い訳がましい、と私には思われた。
誰かが言っていた。
「目標はなにもありません。
今を楽しむことだけを考えています。」
その場所だけが、エアポケットのような空白につつまれ、空白のまま、墜ちてゆく。
仮の住まいの薄い床の上に立ち、目眩しながら足下から沈んでゆく感覚を抱いたのは、夢ではなかったろう。
無重力であるのに、どうしようもなく、身体が重い。