語り得ぬもの、語り得る他者

少しゆっくりめの朝、ホテルの隣のファミリーレストランでの朝食は、滞在5日めにもなると、すっかり飽きてしまって、メニューを見るのさえうんざりであったのだけれど、ため息をつくように比較的食べやすいホットマフィンとハッシュドポテトのセットを頼む。メニューを投げ出すように、彼も同じものを頼んだ。

窓のすぐ下は駅、クリスマス飾りに彩られた駅前を勤め人が忙しそうに、けれど、地方都市らしくゆったりとしたペースで通り過ぎる。

窓の外をじっとしばらく眺めて、そのまま何かを思い出したかのように目元を緩め、わたしを見つめながら言う。「信じられる? もうすぐ6年になる。私たちも年を取った。」 時間を振り返る余裕なんてこれまでなかった、と思いながら、そうだね、とわたしは頷く。それからまた、窓の外を見る。立ち止まって過ぎた時間を振り返るほどには、時間の流れが緩やかになってきたのだろう。そのことが喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、わからない。不意に、飲み物はドリンクバーであることを思い出したのだろう、彼は立ち上がり、「コーヒー、飲む?」とわたしに尋ねる。「カフェオレ? ブレンド?」そう確認をして、ドリンクバーに並んだ彼の姿を眺めていた。

そうだね、出会った頃より背中が丸くなった気がする。あなたは少し年を取った、きっと、わたしも同じだけ年を重ねている。でも、着ているセーターはいつも同じ、胸に赤い小さなワンポイントの刺繍が入った紺色のそのセーター、旅先に持ち歩くのにぴったりなのだろうそのセーターを皺にならないよう丁寧に畳む仕草を思い出す。きっと子供の頃からそんな風にしてセーターを畳んできたのね、あなたは。そんなことを考えているうちに、片手にコーヒー、片手に紅茶を持った彼が席に戻ってきた。

しばらくティーバッグを浸したり上げたりした後、考え込むように口を開く。「いまでも、なぜこんなに長い間、放射能被災地域に拘るのか、自分でもよくわからない。いや、もちろん部分的にはわかるし言語化もできる。でも、一番根本のところが今もはっきりしない。それは、あなたもそうなのかもしれない。自分は、それをちゃんと考える必要がある…。」
最後のあたりは独り言めいた口調になって、かき消すように口をつぐむ。
わたしは、「そうだね」とだけ答える。後の言葉は続かない。
わたしと彼の会話は、いつもこんなものだ。時折、なにか意味のあることを会話する、そのあとは、黙って景色を眺め、たまに目配せし、一言二言なにかいうときもある、何も言わないときもある。

わたしは、考えていた。自分がいつまでも続けている理由はなんなのだろうか、と。幾つもあってあげればキリがない気がする一方、そのどれも違う気がする。いくつかの理由は、取り乱さずには話せないほどには、心に深く刺さっている出来事であるのに。

「安東さん、あのね」と囁くような声が、聞こえた気がした。

安東さん、あのね、わたし、ほんとはね。

それは、知り合いになった年長の避難区域の方からの電話だった。突然の電話の非礼を丁寧に詫びた後、彼は、慎重に「本当のこと」を何か言った。でも、きっと、それは、彼の本当に言いたいこととは違ったはずだ。ひとつひとつ、選ぶように語りながら、言葉と声色がどこが不調和な調子に、わたしは、きっと本当のことは別のことなんだろう、と思いつつ、相槌を打っていた。彼は、気づいているのか気づいていないのか、いくつかの「本当のこと」を語り、そして、いややはり違うのだ、と打ち消し、そして、また別の「本当のこと」を語った。

彼は、ただ、本当のことを誰かに言ってみたくなったのだろうと思う。本当のことが何なのかは、きっと、彼自身にもわからない。言葉を手探りし、頭の中を探り起こし、ひとつひとつ声に出して繋いでみても、やっぱり違う。でも、誰かに語ってみたくなったのだ。飛び立つことのできない鳥が、ふと思い立って羽ばたきを確認してみるように。羽ばたきをしている間は、大空を巡る自分の姿を夢見ていられる。あの日から、私たちは「本当のこと」を語るだれかをずっと探しているのかもしれない。それを語れないことを知りつつ、語りうる他者を。

溢れる無数のリフレインの中を今日も歩く、あのね、わたし、ほんとはね、ほんとはね、ほんと、ほんとのことを、わたしは、あのね、あのね…。



語り得ぬものについては沈黙せよ、否、語り得ぬものだからこそ語れ。それが無意味な音声の羅列に過ぎぬとしても。